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Posted by んだ!ブログ運営事務局 at

2009年10月17日

秘湯中の秘湯

 秋の宮温泉郷から山越え裏ルートで川原毛地獄を経て、下るとほどなく泥湯温泉へ入る。須川(湯沢)方面からの表ルートなら、三途川渓谷を覗き込んでからの泥湯温泉入りとなる。泥湯温泉を訪れる人をまず驚かせるのは、工事中のような狭隘な入口付近の様。道を隠すようにして白煙がもうもうと立ち上がり、「危険」の立看板に誰もが思わずギョッ!とすることだろう。
 泥湯温泉で現在営業しているのは小椋旅館・豊明館、そして奥山旅館の3軒のみ(だと思う)。いずれも湯治宿の風情そのままの古く小さな宿ばかりだ。それでも昔よりはリフォームして小奇麗になっている。以前は駐車場もなく極狭の温泉街でウロウロしたものだが、多分山を削ったと思うが、ようやく一般客用の広い駐車場ができて、マイカーで訪れる人々もゆっくり日帰り温泉浴や稲庭うどんなどのここらならでは食事などを楽しめるようになった。
 初めて訪れたのは今から30年位前だろうか。泥湯と川原毛地獄、そして小安の大噴湯、このエリアの奇異な3つの温泉と風景が好きで、四季の別なく何度も訪れた。昔は集落を走る狭い砂利道などを走り続けて、庄内から割と近いこのエリアで、訪れる人もまばらなこの秘湯で存分の秘湯の雰囲気に浸ったものだった。今は年に数回程度、夫婦で春秋のここの温泉浴や森林浴・紅葉狩りを楽しんでいいる。
 泥湯温泉というと昔を思い出す。若い時分からあちこち秘湯へのひとり旅が好きだった。真冬2月連休を利用しての厳冬酷寒の泥湯温泉への2泊3日のひとり旅。宿はいつも奥山旅館。2年か3年続けた。
 R13須川(湯沢)からつぶ沼を経て泥湯に入るのだが、当時は除雪の雪が数mもの高さで両側へ巨大な壁を作り、その雪の壁の中をひたすら走ること数時間、ようやくたどり着くという感じだった。すれ違う車も後続する車も全くなく、いったん吹雪けば前方視界がなくなる有様で、事故を起こせばこの山の雪道でそのまま遭難するかも、という恐怖感が旅の途中にいつもあった。だからこそ、泥湯までたどり着いた時の安堵感と達成感はまた格別だった。
 冬、泥湯から先はもちろん雪で閉鎖。まさに山懐の突き当り、極小の秘湯 日がな何をするでもなくぼんやりと過ごし、温泉に入りテレビをみて炬燵で昼寝をし、飯を食べてまた温泉に入って、本を読んで眠くなったら寝る。ただそれだけのことだったが、旅人気分ですごく楽しかった。外は一面の雪世界。音がない静寂の時間。温泉の流れる音。枝から雪が落ちる音。今、この山塊の秘湯にいることに満足だったし、充実した旅人気分だった。
 奥山旅館はその当時からの「日本秘湯の会」の宿であり、私自身も「日本秘湯を守る会」の会員カードを持参して、あちこちの秘湯の会の宿に泊まる機会があれば、そこで宿泊のスタンプを押してもらっていた。その貯めたスタンプカードは、今どこかにしまわれたままでまだ探しだせないでいる。
今も昔も、泥湯温泉は秘湯気分満点の大好きな温泉のひとつである。
 平成17年12年29日、痛ましい事故が起きた。年末年始休みで泥湯を訪れていた都会からの宿泊客の家族、母親と幼い長男・次男の3人が道路そばの雪の下に溜まっていた硫化水素の有毒ガスを浴びて死亡した。そして助けようとした父親もガスに倒れ重体になり、まもなく死亡した。楽しいはずの山の温泉で一家計4人の命が奪われた。奥山旅館のことだった。事故後、初夏だったか泥湯を訪れて、向いの食堂で稲庭うどんをすすりながら宿を廃業したとか聞いたが、その後再開させたらしい。頑張ってほしい。立看板の表示うんぬんもあるだろうが、人災でなく天災だと思いたい。道傍の積もった雪の下に有毒ガスが充満していたなんて、地元民でもわからないのではないだろうか。遺族に対しての謝罪もちろんだが、なんとかがんばって再起してほしい。泥湯温泉は元々そういうガス地帯の中にあって、それ故のいい温泉が湧出し、長い歴史の中で人々に愛されてきた稀有な温泉なのだから。
 昨年から道端の事故現場に慰霊碑が立っていた。二度とこういう痛ましい事故が起きないことを祈念して…。

 写真の風呂は小椋旅館の向いにある温泉。300円。奥山旅館の人気の露天風呂は500円。露天風呂は結構混んでいるので、最近はもっぱらこちらの赤黄色の小椋旅館の方の温泉に入っている。
小椋旅館のこの「山の湯」は肌がスベスベいつまでもポカポカ温まる、硫黄臭の強いいい温泉だ。ここの温泉に入ると、車内中しばらくは硫黄の強い臭いがとれない。  


Posted by エゾリス at 08:45Comments(3)温泉な話